マンションも弁当も売れる秘訣は同じ。
安くて美味しいものを詰める。
この当たり前のことをする努力を、
日本人は怠っているだけです。
株式会社アスコット
代表取締役 加賀谷慎二
帰国子女である自分を英語ではなく
実業で表現するという“当たり前”
23物件連続即日完売という驚異的な記録を樹立し、設立わずか5年目にして17億近い経常利益を叩き出そうという破竹の勢いのマンションデベロッパー、アスコットの社長である。
加賀谷は慶應大学時代、ヨットに乗っていた。それだけ聞くといかにも“慶應ボーイ”だが、取材を続けるうち、彼が慶應の中で極めて異色の存在だったことが見えてきた。
「ヨットは大学で始めたんです。年に120日ぐらい葉山で合宿していました。ヨットはお金がかかりますが、バブルのまっ最中だったので、都内で駐車場を見つけては、謄本を取って、それを不動産会社に報告するなんていうバイトをやっていましたね。」
やがてバブルが崩壊し、不動産業界が冷え込んできたとき、浜松町のスナックでバイトをしていた親友が面白いことを思いついた。浜松町は飲食店が少ないから、昼食を食べるのが大変だ。一方、スナックは昼間は使っていないから、スナックの厨房を借りて弁当を作り、会社にデリバリーすれば、絶対に儲かる! 加賀谷がこの思いつきに賛同すると、親友はすぐさまカードで50万円キャッシングしてきた。その50万円で、配達用の自転車、メニュー用の紙、コピー機などを購入する。浜松町のお店は借りられなかったので、東麻布の居酒屋を借りて弁当屋を開業した。
実家が旅館を経営する加賀谷は、料理の達人。しかもヨットの合宿で30〜40人分の食事を作った経験が何度もあり、これが役に立った。
弁当屋開業の当日。チラシを撒き、本格的な和食のおかずを作り上げて昼食どきの到来を待っていると、最初の注文のベルが鳴った。そして、電話のベルは鳴り止むことがなかった。
東麻布という立地が幸いし、加賀谷と親友の弁当やはテレビ朝日、テレビ東京の御用達となる。不摂生になりがちなテレビマンたちに正統派の和食が受け、“ロケ弁”として大人気を博したのだ。
そんな加賀谷がまるで慶應の学生らしからぬ奇妙な情熱を爆発させたのが、自分自身の謝恩会のときである。 慶應の謝恩会は高輪プリンスホテルで行われる。宴会場でのパーティーが終わると、サークルや仲のよい友人同士でホテルの部屋を借り、翌朝までドンチャン騒ぎを繰り広げる。それが慶應の伝統だ。だが、加賀谷と件の親友は、自分自身も卒業生だというのに、各部屋を回って注文を取っては、東麻布の弁当屋から高輪プリンスまで、徹夜でオードブルを配達し続けたというのだ。加賀谷の変人ぶりが際立つエピソードである。
その弁当屋(SKスクエア)は、今ではいまでは年間40万食を売るまでに成長し、件の親友氏が社長を務めている。『花番』『倭』というブランド、どこかで聞いたことがあるはずだ。
さて、その後加賀谷は支援者を得て、弁当屋の2階でアスコットを起業する。
「学生時代に自分が考えたのと同じコンセプトの物件が建っているのを見て、自分には不動産の才能があると思ったんです。ちょうどゴールドクレストなどの新会社が登場してきた時期で、大手は不良債権を抱えていましたから、起業のチャンスだと思いました。」
弁当屋もマンションデベロッパーも、成功の原理はまったく同じだと、加賀谷は言う。
「土地は弁当の器、上ものは弁当の中身です。いずれも、いかにいい素材を安く仕入れて、おいしく料理し、しかも見栄えをよくするかが勝負。どちらの業界も、これまでまったくCSを考えてこなかった業界ですから、いいものを安くつくれば必ず売れるんです」
さて、この破天荒な感性をもつ男、いかにして誕生したのだろう? 実は、加賀谷は帰国子女だった。アメリカに9年、オーストリアに3年、計12年を海外で過ごした。そして、弁当屋の相棒氏も、同じくアメリカからの帰国子女である。自らの才覚で世の中からお金を引き出すのは、ふたりにとって、ごく自然な営みだったのだ。
|